2014年某日 あの世へ還る

突然ですが。

自分の事は好きですか?

いつになったら好きになるのでしょう?1年後?10年後でしょうか?

その人生を終える時に自分は幸せだったと感じる人生は、

自分の事が好きになる人生を歩いた方です。また、そう感じながら、あの世に還りたいものですね。

私達、生き物は皆平等に死を迎えます。

性別も年齢も貧富の差も関係なく訪れます。

物質は何一つ持って還れないのです。

某有名アクション俳優さんは、『裸ひとつで産まれてきた人生です。あの世に還る時も裸ひとつで還ります。』と、膨大な資産の寄付を考えているそうです。

 

 

この世に産まれる誕生日も、あの世に還る事柄も

産まれる前に決めてこられる方が殆どです。

 

あの人は自分の死が分かっていた。とか

久しぶりに連絡があり、その後、亡くなったとか。

 

こんな話を耳にした事はありませんか?

 

私は仕事柄、亡くなられた方とコンタクトをとりますが、

自分が亡くなった事を受け入れる事が出来ない方や

人や物に対して執着心を持ったままの方。

心配事などを抱えた方など、あの世に還らず

留まる方もおられます。

 

次の輪廻の準備をするためにも早く、

あの世に還って欲しいと祈り願っています。

そのためにスピリチュアルの伝達の仕事をしています。

 

では、何故?あの世に還る事柄を決めて産まれたのに

死を受け入れる事ができないのか?

 

私達は個々に人生の課題=前世での業(カルマ)の清算や

真実の愛を経験するために体をもった人間として産まれてきました。色々な経験をするためには体が不可欠です。

この人生で前世の課題をクリアするために生を受けました。

 

これが一般的に言われる(運命、天命、宿命、定め)と

言われるものです。また、自分の選択により未来が変わっていきます。

なぜなら

宿命=命を宿す=産まれて来る時に決めてきた事柄

運命=命を運ぶ=産まれて来て自分で選択

 

また、産まれる前に課題を決めて産まれましたが、

この人生で新たに課題やカルマをつくってしまう方もいます。

課題は全てマイナスではありません。

魂の向上の為の選択の道だと考えています。

 

産まれる前に大きなテーマ(課題)は決まっているけど

分岐点の選択の自由により横道、遠回りもします。

自分の考え方ひとつで変わります。

 

引き寄せの法則と話題になりましたが、

自分の意識で未来はかわります。

 

例えば、人生70年と決めて産まれてきても課題の途中で

自ら放棄(自殺)してしまったり、

お金に貪欲になりすぎてしまい、お金の使われ方が気になって、

この世に未練を残し留まったりと様々な理由があります。

 

そんな方は、自分の死を受け入れる事が出来ないでいます。

 

また、輪廻や死後の世界に対して否定的な方、

信仰心が全くない方など、本当に留まる理由が個々に違います。

だから統計学の占いと違うと言われるのだと思います。

一人一人の人生が違うように個々の留まる理由も違ってきます。

留まるだけでは無く、人の体を借り(憑依)人生の続きを

しようとしたり執着心を満足させようとしたりします。

どこをとっても善い事ではありません。

 

死に対しての考え方も文化や宗教の違いもあります。

死は次の世界(あの世へ)のスタートのお祝い事として

笑って見送る国や風習もあります。

 

人生50年の時代もありました。今は医療の進歩、

エネルギー調節が上手く使われ日本は長寿国になりましたね。

長生きをするという事は、沢山の方との御別れも

経験していくと言うものです。

 

そこで、延命治療についての相談も増えてきています。

 

病院でドクターから延命治療は『受けますか?受けませんか?』と聞かれる事もあるかもしれません。貴方ならどうしますか?貴方自身なら、また、家族や最愛の人ならどのように返事をいたしますか?

 

生きている間に死に対しての考えや告げるのは

タブーとされてたり、縁起が悪いと言われた時代もありました。

けれど、これは皆が避けては通れない事柄です。

生前にシッカリと家族で話し合い、個々の意思を

確認しておく必要があります。

突然の話に不安を抱く家族もいるかも知れません。

いずれ迎える死に対しての意思表示の理由をお話下さい。

 

 

例えば、親の死期が近いとします。

 

一日でも長く生きて欲しいと願うものです。

そのため延命治療をお願いしたとします。

けれど、いざ治療が始まると苦しむ姿を見れなくて

希望した延命治療を後悔する方もいます。

判断を責められたりもします。

残された遺族は後悔をもってしまうかもしれません。

そんな、経験をされた方は間違いなく自分の時には、

と、考え周りにお話をするそうです。

 

私は個々の命は個々が判断する事を一番に考えています。

 

元気な時に、例え縁起が悪いと言われても

死期に対しての意思表示をしておくのも、

残す家族のため自分自身のためと思っています。

 

死期が近い方に延命治療の意思を聞いても、

本心を言えない、伝えることも考える事も出来ない時もあります。

 

いつか必ず迎える死に対しての考えを周りと話しておく事は、

タブーでは無く、その逆で『今』を大切に生きよう。

自分の人生について考える機会を与えます。

また、例え本人の意思だとしても、その意思を知らない身内から反対されるケースもあります。

日頃から、伴侶だけでは無く身内にも話す機会があれば

伝えておく事も大事かも知れません。

それでも大切な方を亡くされた思いは深く心に悲しみとして

残ってしまいます。

 

また一つ愛を知りました。

 

 

長くなりましたが

 

死と向き合うことは、けして縁起の悪い事でも

タブーな事でもありません。

死と向き合うことは、今を大切に生きる事をも考える事になります。

死と向き合い見送り受け入れる事は

生きた人生の生きざまをも受け入れた事にもなります。

 

最期は感謝と共に還ら無くてはいけません。

最期は感謝と共に見送らなくてはいけません。

 

親から子へ子から孫へ。残す事が出来るのは

金銭面ばかりではありません。最終的には個々の想い出や

生きざまです。次の世代に受け継いでいく。

子供達に伝えて欲しい事の1つです。

そんな環境で育った子は受け継いでいく命や御先祖様を

大切にします。

 

この人生は、素晴らしい人生だったと

笑顔で迎えたいものですね。